2020年夏。
第61期王位戦七番勝負で、木村一基王位を挑戦者の藤井聡太棋聖が4勝0敗で破り、史上最年少での二冠を達成しました。
結果は差が付きましたが、どの対局も紙一重の攻防が続いた好局でした。
木村先生ならばきっとまたチャンスを掴めることと思います。
木村先生は、棋界をリードするトップ棋士の1人です。
将棋が強いのは言うまでも無いですが、解説の面白さや人柄の温かさでファンから大きな人気を獲得しています。
私も、NHK将棋講座で木村先生を知って以来、約20年来の木村ファンです。
そこで今回は、観る将的に木村一基九段について知っておきたいことを、数字とともにご紹介します。
基本プロフィール
- 氏名 :木村一基(きむらかずき)
- 生年月日:昭和48年(1973年)6月23日
- 出身地 :千葉県四街道市
- 師匠 :(故)佐瀬勇次名誉九段
- タイトル:出場8回、獲得1期(王位1)
- 身長 :171cm
- 血液型 :AB型
23歳でのプロデビュー
木村先生は、1997年に四段昇段(プロデビュー)を果たしました。
当時23歳。
後にA級昇級、タイトル獲得を果たすトップ棋士の中では異例の遅咲きと言えます。
奨励会時代には相当な苦労を重ねられたようです。
同年代の行方尚史九段や野月浩貴八段が先に昇段し、後輩にも追い抜かれ、三段リーグによる年齢制限の影が迫る中、ようやく四段昇段を勝ち取りました。
年度61勝、勝率83.56%
デビューこそ遅かった木村先生ですが、デビュー後は奨励会時代のうっぷんを晴らすかのように、勝って勝って勝ちまくります。
特にデビュー5年目の2001年度は飛躍の年になりました。
61勝12敗、勝率83.56%と爆発的な活躍を見せたのです。
既に私はこの頃「観る将」になっていましたが、この年の木村先生の活躍は、少し前に大ヒットしたサザンオールスターズの「TSUNAMI」よりも爆発的でした。
あまりにも勝率が高かったことから、棋界では「勝率くん」のあだなで呼ばれていたそうです。
この年は竜王戦でも挑戦者決定戦3番勝負まで進出。
第1局では、羽生善治四冠(当時)が玉の逃げ場所を間違える「1手頓死」をしたことで有名ですね。
その後の第2局・第3局を落とし竜王挑戦とはならなかったものの、竜王戦とは相性が良く、その後、何度も活躍しました。(2005年度の第17期では挑戦者になりました)
コラム:A級昇級時の名言
順位戦でも順調に昇級を重ね、2006年度の第65期順位戦B級1組で、木村先生は9勝3敗の成績でA級昇級を果たします。
このとき、月刊誌「将棋世界」に掲載された、昇級者の喜びの声での一文が忘れられません。
負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう。レベルが高く、残留すら難しいクラスで戦うことができる。この気力を維持して頑張りたい。
(将棋世界第71巻第5号 2007年5月号 82P)
結果だけがひらすら求められる、厳しい勝負の世界を生きる棋士としての信念を感じさせる名言です。
この信念を維持し続けたからこそ、それから約13年の歳月を経てタイトル獲得を成し遂げたのでしょう。
あと1勝に8回届かず
その後も木村先生は着実に実力を伸ばし、ついにタイトル戦に登場するようになります。
2005年に竜王戦で初めてのタイトル戦出場を果たしてから、2016年までに6回のタイトル戦に出場。
しかし、その全てで敗退。
下は、その6回のタイトル戦の戦歴をまとめたものです(勝敗は木村先生側から見たもの)。
背景を赤く塗っているのは「勝てばタイトル獲得となる将棋」です。
それを実に8回、逃しています。
いかに木村先生が苦労されているかがお分かりいただけたでしょうか。
初めて挑戦した竜王戦と、その次に挑戦した王座戦はストレートで敗退。
3度目のタイトル戦出場となった第80期棋聖戦は、第3局までで2勝1敗とし、羽生善治棋聖を追い詰めますが、カド番に追い込まれてからの羽生棋聖の強さはすさまじく、そこから連敗を喫しました。
4度目のタイトル戦は棋聖戦と同時期に行われる王位戦。
難敵・深浦康市王位を相手に3連勝。
木村ファン全員が木村王位の誕生を確信していたでしょう。
しかし、粘り強さでは棋界随一の深浦王位。
故郷、長崎県佐世保市で行われた第4局を勝つと、勢いにのり何とそこから深浦王位が4連勝。
3連勝4連敗という信じられない展開で、またもタイトル獲得を逃したのです。
将棋界では、長らく「七番勝負での3連敗からの4連勝」は起きていなかったのですが、この王位戦の半年前に、100年に一度のタイトル戦として今でも語り継がれる第21期竜王戦(渡辺明竜王VS羽生善治名人)で、渡辺竜王が3連敗からの4連勝を果たしていました。
まさか短期間に2度も3連敗4連勝が起きるとは・・・ちなみに、その後は一度もこのスコアは現れていません。
正直、私はこのとき「木村先生のタイトル獲得はもう厳しいかもしれない」と感じてしまっていました。
10年後、壮大なドラマが待っているとは知らずに・・・
王位戦とは特に相性が良く、その後も2回タイトル戦に出場しました。
印象に残っているのは第57期(2016年度)の七番勝負。
第5局までを3勝2敗とし、羽生善治王位をまたもカド番に追い込みます。
内容も木村先生が良く、「これはついに悲願の初タイトル来たか!」と木村ファンは多いにわきました。
しかし、タイトル奪取がかかった第6局、後手番の羽生王位に△5七桂成という、プロ同士の対局では珍しい大技が決まってしまいます。(日本将棋連盟の「お願い」に従い、棋譜や図面は掲載いたしません)
その後も粘りますが、大技の威力はすさまじく、結局差は詰まらず敗北。
悪い流れを引きずったか、第7局も落としてまたもタイトル奪取とはなりませんでした。
木村ファンをずっと続けている私も「さすがにタイトルは厳しいか・・・」と諦めかけていました。
しかし、それはあくまで外野の感覚。木村先生は諦めてなんかいなかったのです。
7回目の挑戦、46歳で悲願達成
2019年度の第60期王位戦。
木村先生は、7回目のタイトル挑戦を果たします。
しかし、相手はノリに乗っている豊島将之王位。
2019年春に名人位も獲得し、名実ともに棋界の第一人者となった強敵が相手で、戦前の予想は木村先生が厳しいという見方が多かったです。
木村先生も46歳。
もしかするとこれが最後のタイトル戦かもしれない・・・。
そう思った私は全局、スマホにかじりつくように携帯中継を眺めました。
注目の七番勝負は、木村先生が第1局・第2局を落とし連敗スタート。
しかし、福岡市の大濠公園で行われた第3局で「らしさ全開」の受け将棋で勝利、続く第4局も長手数の将棋を制してタイに戻すと、勢いにのり勝負は最終第7局に。
これほどまでに挑戦者を応援したシリーズは後にも先にもありませんでした。
第7局、2日目でやや木村先生に形勢が傾きはじめてからは仕事もそっちのけで盤面を見つめていました。
そして、午後6時44分。
ついに、ついに木村先生が46歳にして初のタイトルを獲得しました。
これにより、初のタイトル獲得の最年長記録を大幅に更新。
長年の苦労が報われた瞬間でした。
百折不撓
木村先生の座右の銘は「百折不撓(ひゃくせつふとう)」。
何度失敗しても信念を曲げない、という意味で、幾多の挫折を乗り越えた木村先生だからこそたどり着いた境地と言えるでしょう。
翌2020年の第61期王位戦七番勝負では、挑戦者の藤井聡太棋聖の圧倒的な勢いの前に敗退しましたが、今後も木村先生はトップ棋士として第一線で活躍を続けられることでしょう。
木村先生のことをもっと知りたい!という方はこちらの書籍がオススメです。