管理人のご紹介

きゃべ夫の将棋畑をご訪問いただき、ありがとうございます。
このページでは、本ブログ管理人である「きゃべ夫」のプロフィールをご紹介いたします。

私は小学6年生(12歳)で将棋を始め、将棋歴は約20年になります。

将棋を覚えた一人の人間が、その後の人生でどのように将棋を楽しんでいるのかを少しでもイメージしていただければと思い、私の将棋歴を詳しくご紹介します。

管理人プロフィール

氏名:花月 諒(かげつ りょう)
日本将棋連盟公認「将棋普及指導員」(指導員番号20-1470)

1989年生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。

12歳、小学6年生の頃に将棋を始める。

鹿児島県立鶴丸高等学校、一橋大学経済学部経済学科卒。

大学時代は将棋部に所属し、各種学生棋戦に出場しつつ、将棋大会の運営や小学生の指導等に携わる。

大学卒業後、5年ほど東京で会社員生活を送った後に、九州にUターン(正確に言うとJターン)。

現在は福岡市を拠点に将棋の普及活動に従事。

2020年、第49回全国支部将棋対抗戦(団体戦)福岡県代表。

2020年4月に日本将棋連盟公認の「将棋普及指導員」資格を取得。

棋歴

将棋との出会い(12歳)

私が将棋と出会ったのは、小学6年生の秋頃でした。

雨が何日か降り続け、外で遊べなくなったとき、クラスに将棋ブームが訪れたのです。

何人かが集まって小さなマグネットの駒を動かしているのを横目で眺めていた私に、同級生が「きゃべ夫くんもやってみる?」と声をかけてくれました。

その場で駒の動かし方と簡単なルールを教わり、同級生と私の人生初対局が始まりましたが、結果はあっけなく敗北。

あまりにも悔しかった私は、クラスで一番強いと評判のA君の元に弟子入りし、彼の家で毎日将棋を指し、入門書を読み漁りました。

その甲斐もあってか、1週間後には先の同級生に勝ちました。

ルンルン気分で家に帰り、母にそのことを報告すると『実はワタシも少し指せるのよ』とのこと。

まあ、これだけ練習した自分が親に負けるなんてことはないだろう、と思って対局したら・・・まさかの敗北。

母の背中がこれほど大きく見えたことはありませんでした。

それからというもの、「もっと強い相手に勝ちたい」と思った私は来る日も来る日もA君の家で将棋を指し、その楽しさにどっぷり浸かっていきました。

今も昔も身体が小さく、運動が全然ダメな私にとって、盤上でフェアに戦う将棋の世界は非常に楽しいものでした。

将棋道場通い(~中学2年生)

師匠のA君にもそこそこ勝てるようになった私は、地元の将棋道場に通い始めました。

将棋道場なるものがどういう場所なのかもよく知らないまま、自分で電話帳を引っ張り出して電話をかけた日の緊張感は今でもよく覚えています。

中学1年~2年の2年間、ほぼ毎週のペースで将棋道場に通いました。

私は、将棋人口があまり多くはない地方の出身なのですが、同年代には、将棋に情熱を捧げている友人が多く、切磋琢磨しながら続けることができました。しかし・・・

観る将化(中学3年生~高校生)

中学3年生で、”受験”の2文字が頭にチラついてきました。

地方在住の私は、東京のエリート学生のように「高校受験?中高一貫校に入学したからそんなのボクには関係ないね」とはいきませんでした。

やむなく、中学3年生の頃は将棋道場通いを中止し、受験勉強に専念しました。

結果、志望校に合格することはできたのですが、高校生活が始まると、甘酸っぱい汗の匂い(”臭い”ではありません)がする高校生活への憧れが強かったのか、テニスとボウリングとカラオケに明け暮れ、将棋をほとんど指さなくなってしまいました。

その代わりに、インターネットで棋戦の成績を見たり、過去のデータを分析してみたり、図書館で将棋界に関する本を読んだりと、今でいう”観る将”的な将棋の楽しみ方を模索するようになりました。

この頃の経験を、本ブログでも活かしていきたいと思っています。

果たして、「甘酸っぱい匂い」がしたのかはともかく、私はそれなりに高校生活をエンジョイしました。

青春を将棋に捧げる(大学生)

高校を卒業した私は、関東の大学に進学しました。

「大学生活の半分は1年生の4月に決まる」というのが私の持論ですが、大学入学時に私は大いに悩みました。

そう、将棋を指すことから離れていた私は、「将棋を辞めるか続けるか」に悩んでいたのです。

どんな部活動・サークルに入るか…?その先にある大学生活を、頭をひねって幾通りにもシミュレーションした結果、「部活は将棋部に入ろう。でも、甘酸っぱい匂いがする学生生活も追い求めたいから、運動系サークルにも入ろう!」との折衷案に行きつきました。

我ながら良い判断だったと思います。

余談ですが、このとき将棋部と同時に入ったのはバドミントンサークルでした。

やったことがある方なら分かると思いますが、体育館を閉め切る必要があるバドミントンは、文字通り”酸っぱい臭い”のする競技でした。

こうして将棋部の門を叩いた私ですが、入部直後からそのあまりのレベルの高さに驚きました。

通っていた大学は、大学将棋の一番の醍醐味である「団体戦」(詳しくは別の記事でご紹介します)で最高峰のA級に長年所属している強豪校だったのです。

同期は、東京の中高一貫校出身の”将棋エリート”ばかり。

地元の大会ではそこそこ勝っていて「井の中の蛙」になっていた私は心が折れました。
大学将棋のレベルはこんなにも高いのか・・・

もう将棋を辞めて、ひたすら楽しいだけの運動系サークルでワイワイやってお茶を濁そうかと本気で悩んだものですが、そんな思いを踏みとどまらせてくれたのは、大学がお世話になっている、ある将棋教室でした。

毎週金曜日の夜になると、大学の将棋部員がその教室に出向き、子どもたちと将棋を指すのですが、その子どもたちが皆、キラキラした目で将棋を指していたのです。

その姿を見て、「自分も純粋な気持ちで将棋を楽しもう」と思い直すことができました。
子どもたちのレベルは皆、アマ四段以上と非常に高く、これまた驚かされましたが…。

そんなこんなで4年間、素敵な仲間たちと切磋琢磨しながら将棋に明け暮れることができました。

学生将棋の楽しさは別途、きちんとご紹介しますが、盤上にほとばしる青春の汗、という言葉がぴったりのアツい世界です。
このとき将棋を辞めずに続けていて本当に良かったと思っています。

社団戦&会社の部活(社会人)

新社会人になるタイミングは、人生の大きな転換点ですね。

大学4年生で「いや~、○○君は1年生なんだ?若いねえ~ギャハハ!」とか云っていたのが、いきなり会社という組織の最下層としてスタートするのですから。

大学を卒業した私は、地元の九州には戻らず、東京の企業に就職しました。
(現在は、Uターンして九州に住んでいます)

あ~あ、もう社会人か。
大学生の頃みたいに熱い気持ちで将棋を指せることなんて無いんだろうな・・・とややナイーブになっていましたが、そんな憂いは一瞬で消えました。

社会人1年目の6月、大学時代の先輩から連絡が。

 「きゃべ夫くん、今も東京にいるんだよね?今週末、シャダンセンあるから来てよ」

「シャダンセン・・・?」となった私ですが、ググってすぐにその言葉の意味が分かりました。

シャダンセンは「社団戦」と書き、簡単に言うとアマチュアがチームを組んで戦う団体戦です。(出場できる年齢に制限はなく、お子さんでも指せます)

誘われるままに会場に行って驚きました。

どこを見ても人、人、人・・・いったい何百人いるんだろうという数の選手で会場が溢れかえっていたのです。

子どもたちのキラキラした目を見て将棋を続けた大学時代とは反対に、キラキラした目をして将棋を指す大人たちを見て、私はまた感動を覚えたのです。

そして社団戦への参加を始めたのとほぼ同時期のこと。

会社で10年以上離れている先輩から、声をかけられました。

「やあきゃべ夫くん。君って将棋指せるんだよね?同業他社さんとの団体戦があるから出場してよ。それで将棋部にも入ってくれ」

割と規模の大きな会社に入社していたのですが、まさか将棋の部活動があったとは。
さらに、同業他社との大会まであるなんて…

喜んで参加し、学生のときと同様に私は将棋を楽しみました。

将棋普及指導員の取得~現在

かくして、紆余曲折はありつつも、20年に渡って私は将棋を楽しみ、将棋は人生の彩りの1つになっています。

そんな将棋の楽しさを、自分で味わうだけでなく、もっと色々な人に伝えたい。

そう思った私は、日本将棋連盟が毎年募集している「将棋普及指導員」の資格を取得することを決心しました。

周りの方々の支えもあり、2020年4月に普及指導員資格を取得し、現在に至ります。

現状は、会社員をやりながらの情報発信ではありますが、1つ1つの記事に気持ちを込めて、皆様の将棋ライフを彩りたいと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。