藤井聡太先生の師匠、杉本昌隆八段ってどんな棋士?実績や著書を紹介
この記事では、将棋の藤井聡太プロの師匠について紹介します。最後まで読めば、ちょっと将棋通になれますよ!
藤井聡太先生の師匠は杉本昌隆八段
藤井聡太先生の師匠は、杉本昌隆(すぎもと まさたか)八段というプロ棋士です。
1968年11月13日生まれ。1990年10月1日にプロデビューし、30年以上、プロ棋戦で活躍しているベテランです。
藤井聡太先生と同じく愛知県出身。そのご縁で、藤井聡太先生の師匠となりました。
将棋界では、プロ棋士の育成機関である「奨励会」に入るときに師匠が必要になります。
人望も厚く、日本将棋連盟の理事も務めています。
杉本昌隆八段の得意戦法は、飛車を横に動かして戦う振り飛車戦法。
ちなみに藤井聡太先生は飛車を主に縦に動かす「居飛車」しか指しません。
杉本昌隆八段の著書
そんな杉本昌隆八段ですが、藤井聡太先生を最も間近で見てきた経験から、藤井先生関連の本も多く出版しています。代表的なものは以下です。
藤井聡太先生に関する本はすべて読みましたが、どの本も学びがあり、師弟の結びつきを感じられる内容です。
杉本昌隆八段の活躍
今では「藤井聡太先生の師匠」というイメージが強い杉本八段ですが、ご自身も多くのプロ棋戦で活躍してきました。その例を3つご紹介します。
1. 朝日選手権五番勝負に登場(2002年)
杉本八段は、六段だった2002年に「朝日オープン将棋選手権」の決勝五番勝負に登場しています。
少し説明をすると、「朝日オープン将棋選手権」は現在の「朝日杯将棋オープン戦」の前身にあたり、わずか6年間だけ行われた棋戦です。
1次予選のアマチュア選手出場枠が10名と非常に多かったことや、高額な賞金(2,000万円)、「挑戦手合制(タイトル保持者に挑戦者が番勝負で挑む)」の導入など、タイトル戦に準じるような位置づけで、非常に画期的な棋戦でした。
この「朝日オープン将棋選手権」が開始された期に、杉本八段は大活躍。
森内俊之八段や中原誠永世十段(肩書はいずれも当時)を破り、決勝五番勝負に進出します。
「朝日オープン将棋選手権」としては1回目の開催であったため、トーナメントの決勝進出者同士で五番勝負を行い、その勝者が「朝日選手権者」を名乗ることに。
決勝の対戦相手は、飛ぶ鳥を落とす勢いで羽生世代の強豪棋士を撃破した堀口一史座五段。
若手同士の注目の五番勝負となりましたが、結果は1勝3敗で惜しくも敗北。4局とも、両者の気迫がこもった熱戦でした。
2. A級目前まで迫る(2009年)
プロ棋士ならば誰もが憧れる「名人」の座につながる「順位戦」。
杉本八段は、最高峰のA級順位戦に次ぐ「B級1組」に在籍していた経験があります。そして、そのB級1組で最高3位にまで昇り詰めました。
B級1組は上位2人がA級に昇級する仕組みであるため、本当にあと一歩のところまで迫っていたのです。
こちらがそのときのリーグ表です。(最終成績上位5名のみ抜粋)
当時、杉本八段は七段でした。
8勝4敗で3人が並びましたが、昇級枠は2人。開幕時の「順位」が最も低い杉本七段は惜しくも昇級とはなりませんでした。
順位戦の仕組みは以下の記事でもくわしく解説しています。あわせてご覧ください。
3. 50歳でB級2組返り咲き!(2019年)
これは記憶に新しい方も多いと思います。
その2でご紹介した、A級目前までの活躍から10年後。
杉本八段は、弟子の藤井聡太七段(当時)とともに、C級1組順位戦を戦っていました。
リーグ終盤、ともに昇級を争っており、「もしかして師弟揃っての昇級になるのでは?」と非常に高い注目を集めました。
そして、最終11回戦までが終わった結果が、下図です。
なんと、9勝1敗で4人が並びました。
藤井七段は、この前の年にC級2組から昇級してきたばかりで順位が低かったため、残念ながら2期連続の昇級とはなりませんでした。
一方、杉本八段は「順位の差」でB級2組への復帰を決めました。
50歳で順位戦を昇級することは大変な偉業です。
また、愛弟子に昇級してほしいという師匠としての思いを抑え、一棋士として勝負に徹して勝利を掴んだ姿も見事です。
まとめ
今回は藤井聡太先生の師匠について紹介しました。内容をまとめます。
- 藤井聡太先生の師匠は杉本昌隆八段
- 藤井聡太先生に関する著書を多く出している
- ご自身も数多くのプロ棋戦で実績を出してきた
将棋界は師匠と弟子という特別な結びつきがあり、そこには人間ドラマがあります。今後も杉本先生、藤井先生師弟の絆に注目です。